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新 舟と天原と青海原

夕方、郵便局で用事をすませたあとに近くの漁港に立ち寄った。
人気のない漁師小屋のわきをぬけ、小舟がおかにあげられている、コン
クリートでかためられたスロープを波打ち際まで歩いてゆく。
防波堤には釣り人の姿がちらほら見られ、漁船がつながれた入り江のむこう
に水平線と空が見えた。

そうしているうちに、ふと心に浮かんだ言霊があった。イノチ、イノリ、…最後
に浮かんだのが、フネだった。家に帰って、この言霊を調べてみた。
つぎのエッセイは、それをもとに書いたものである。
************************************************************
「フ子」(フネ)の言霊のもとが、「アフ子」です。アは起言といって、省くことができるので、
フ子つまりフネになるのです。(註・・・山口志道の言霊学では、「ネ」は「子」と書きます)

小坪の海と空4

なぜアフ子なのかというと、これは仰向けに寝ることだそうです。
アフとは、あおぐ(仰ぐ)の古言で、アフぐから来ます。
おもしろいのは、「男子は伏寝、女子は仰寝なり」と志道がいっていることです。
どうして仰臥(ぎょうが)が女性の寝方なのか。また、男性が伏寝なのか。
男女のまぐわいの姿を思い浮かべるか、天と地の位置関係を考えるか、
それはあなたにまかせましょう。

とにかくここでは、伏寝ではなく、仰向けのアフネのほうを、海に浮かべ櫓や櫂でこぐ、あの乗り物を指す語に定め、フネという名を負わせたということに着目したいと思います。

まず形をイメージすると、仰向けに寝るということは腹を見せて寝ることですが、
木をくりぬいてボート作ったら、どっちがお腹でどっちが背中か。これは簡単ですね。
水に浮かべるときは伏せるわけにはゆかないので、くりぬかれた側が腹のほうになっ
て、海に浮かべたときは天空を仰いでいるかっこうとなります。

原典は「船神は女体なり」といっています。ちなみに帆とは、フクロの反し-hukuroを約(つづ)めるとhoになるから-のホで、風を納袋(入ルルフクロ)という言霊です。

小坪の海と空2

父なる天と母なる大地というイメージから考えると、「男子は伏寝、女子は仰寝なり」というのもうなずけそうです。これを、『水穂伝』の五十音の成り立ちの法則から考えるとどうなるでしょう。

天地がいまだ分かたれない宇宙の初めに一点の凝りから水と火が別れ、まず、軽く澄んだ水は昇って天をつかさどります。重く濁った火は降って地をつかさどります。ところが、火はいつまでも地にあるのではなく、水とともに動いて天に昇ります。そこで、火の霊は日を、水の霊は月を、天の凝りである火水(ホシ)の霊は星を現します。

一方、水の霊は地に降って、火の霊は土をなし、水の霊は潮となり海を現し、水の上に出た洲や瀬が高くなって山をなします。シホ(塩、潮、汐)は「水火」ですが、天にも地にもシホミズがあります。

天の井、地の井です。

つまり、父なる天は本質は陽(火)、母なる大地は本質は陰(水)であるといっても、その作用面としては固定したものではなく、たがいに動きつつ交合(くみ、からみ、むつみ)しながら、さまざまなものを現しているのが、水(イ)と火(キ)なのです。イキのくみあいからみあいが、そのまま言霊の発生となり、それぞれの音にたくさんの法則を分け持って、たがいに協力して働いているということです。

じつは、言霊の叡智は、わたしたち人間も、水と火とがくみあいからみあいしてできた存在であることを教えています。わたしたちのからだを流れる血を血汐ともいうように、シオミズ(潮水)と同じ成分を含むことは、この真実を証明しているかのようです。

父なる天と母なる大地とのあいだに生まれたのが、わたしたち人間です。

ちなみに、天原(アマハラ)とは、アは天、マは「向」き合うという法則の言霊、ハラは「広」いということで、空と海とが「向伏(ムカブシ)て広大なる」、つまり一方は伏し、他方はこれを受けるという感じに出会い、溶けあってはてしなく広がるという意になります。

青海原というのは、アヲは蒼穹(そうきゅう)、つまり青空の「蒼」、ウナは言霊反(かえ)しの法則によりアと同霊となり、天のことを指します。
つまり、天(空)も海も青一色にして、たがいに向き合い接してひとつであることを、アヲウナハラと呼ぶというのです。

小坪の海と空3

水と火、女と男、天と地。また、月と日(太陽)……。
それらはたがいに向き合い、調和した性質と働きを現わすため助け合います。

海に浮かべた舟に揺られて天を仰ぎ見るとき、舟は天と地とが出会い、とけあう
場となります。

そして、私たち人間は、天から垂直に降りた光を水平に地に広げる、ひとつの受信機であり、地球上の乱れた波動を宇宙の調和した波動へと調える、波動調整のための受け場でもあるのです。

空のソという言霊は、水の中に濁って重い火が降って入り、自らを隠しつつ、
水を動かし澄み昇らせる初めです。
ソの言霊には、形の無い、白、底、初などの意味があるのもこのためです。

太陽や月や星が規則正しく運行するとき、はてしない空のまっ白なカンバスのうえ
に軌跡が描かれます。

港の波打ち際にしゃがんで、防波堤のはるかむこうの水平線をながめ、空をながめ
るとき、その空のたとえようもないうつくしさが、霊界ということばの記憶を私の
胸によびおこしました。

ア行のオ(起る)に始まって、ワ行のヲに終わる顕れの世界の裏にいつもある、
ヲからオまでの隠れた世界があの世なら、霊界はわたしたちと常につながっている。

この夕方のうつくしい空は世界の国々へとつづいている。
そこではまだ戦争をやっている国、つぎつぎに人が亡くなっている地域もある。

ひとつの空。ひとつの海。なのに、どうして人類はひとつではないの?

この海にのりだすことのできる舟。太古のむかしより、人は舟にのって海をわたり、
知らない土地にたどりついてきました。
探検から貿易へ。そしていつしか他国を武力でおどかし、支配するようにもなります。

でも、いちばんはじめは……そんなことは考えていなかった。

海に舟を浮かべ、空を仰いでみたい。
そんな夢をかなえるため、人は木をくりぬいて海に舟を浮かべたことでしょう。


さあ、舟に身を横たえ、天を仰ぎましょう。Swing,Swing,…ゆらりゆられて。

空の星月に見守られつつ、わたしたち地球の人間は今夜も安らかな眠りにつく。


ネムルという言霊は、根(子)に睦(ムツ)むこと。

それは魂があの空に帰ること……。ふたたびリフレッシュして地上の体にもどってくるために。


だんだんと寒さをましてくる十一月の夜に、舟の言霊は、そんなことをイメージさせてくれるのでした。


2009年11月17日〝コトダマの国から〟に初出の原稿に、2010年12月に朗読とライブ演奏と映像によるイベント『ことだまの国へ』の脚本のために加筆修正をしたのが本稿になります。このたび、リニューアルしてホームページ〝KOTODAMART コトダマート〟の「言霊夜話」シリーズの第11話にアップすると同時に、〝コトダマの国から〟のほうにもアップすることにいたしました。 

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音の響きと言霊の法則

サラサラ流れる水。

サラサラとした粉雪の手ざわり。

笹の葉サーラサラ♪

サラッとした絹の手ざわり。

さらりと受け流す。

谷崎潤一郎作「細雪(ささめゆき)」

さやかなる月(清かなる月)。

サッとひと拭き。

「サ」の言霊の音の響きから浮かぶイメージ。

それは皆さんのなかでは、どのようなものでしょうか。

抵抗なくスムーズな感じ。
よどみなく流れる感じ。
あっさりとした感じ。
こまかな感じ。
繊細な感じ。

シャープな語感。
清潔感。
清らかな感じ。きよまった感じ。
スピーディな感じ。

では、坂や栄えるはどうか。去るはどうか。幸はどうか。
「小夜(さよ)更けて」はどうか。

音の響きからだけではわからなくなってきます。

つまり、感覚的につかめる部分とそうでない部分が
あることがわかります。

そして、なぜ言霊の法則を知る必要があるのかという
ことも、そのあたりにあるんです。

この法則という言い方はなじみにくいかもしれないの
ですが、ひとつの音にたいして、いくつもの意味が
多義的に属しているとき、それらすべてが法則になり
ます。

ところで、「サ」という言霊の法則にはつぎの八つが
あります。

[サの音の八つの法則]
割別也。
細也。
小也。
少也。
短也。
誘也。
放也。
去也。

 この中には、細かいとか、小さいとかを意味する法則があ
って、さきほどの繊細な感じとかよどみなく流れる粒子
みたいな感覚と一致します。
 でも、それ以外に関してはどうなのでしょうか。

 それがわかってくると、もっと深くわかってきそうです。
 これを理解するには、「サ」がいったいどんな性質
をもつものなのかということを知る必要がでてきます。

森戸の夕照(2009.1.8)

 サ行は、そのどれもが水の霊です。
 この水は軽く澄み昇るという性質のものです。

 いちばんわかりやすい説明をすると、イネ(稲)が育つさま
を思い浮かべてみてください。
 まずは、田んぼの水のなかで種子である籾(もみ)が発芽しますね。
 それには、必ず水に火がくみあわさる必要があり、水と火が出会ってはじめて萌す(きざす)、つまり芽が出るのです。
この出会いの働きをするのがじつはソの言霊です。

 ソで水と火が出会います。

 セでそれらふたつがくみあいます。

 スで一なるものをめざして澄んできます。

 シで昇り始めます。

 水は根から吸い上げられ、作物を成長させます。
だから、サ行の言霊には「昇水(しょうすい)の霊」といわれるものがあるのです。

 それと同時に、イネがどんな感じで成長してゆくのかというと、それは背が伸びるだけでなく、だんだんと分かれてゆきます。

 イネが育つにつれ、苗が大きくなりますが、それは枝分かれの数が増えてゆくことです。葉っぱがいくつにも分かれ、夏になると、青々としてのびたイネが風にそよいでいます。
 田植えのときには、せいぜい二、三枚だった葉っぱが、たくさんに分かれてゆくのが「割き別れ(さきわかれ)」といいます。

 いよいよ昇り極めたところで割き別れ(さきわかれ)ます。
 これがサの音の言霊の本質なのです。

 そうすると、八つの法則の中で、細かいことや小さいことがどうして割き別れ(さきわかれ)と同じ言霊のグループにはいっているのかがわかるでしょう。

 山口志道は、「ものみなすべて進み極まれば、さきわかれるものだ」と述べています。
その例として、一粒の籾は実るときは万倍になることをあげています。
 籾から発芽した苗が成長していくつにも分けつ(稲の葉が増えること)し、青々として風にゆれる稲穂はやがて黄金色に色づき、たくさんの実をつけて収穫の季節を迎えます。 

 ここからすると、サ行の言霊は、まさに創造と繁栄そのものの働きをしているといえます。

 面白いのは、分かれれば分かれるほど細かくなり、小さくなるのに、逆に全体としては、栄えることになります。
欲張って独り占めにしようと思うと、たしかに家も会社も富を蓄積して大きくなってゆくことになりますが、その分、わかちあえなくなります。

 さて、どちらが豊かといえるのでしょうか。

 言霊秘書の「水穂伝」では、しあわせを表す言霊は「シ」です。
 そして、「シ」は「サチ」の約まった(つづまった)言霊だといいます。
 (sachi→s+iでシ)

 ということは、一粒のお米が万倍にもなる稲作に幸せの本質を見ようとしていることになります。

 さて、最初のサラサラと笹の葉が風に鳴るような、繊細で清らかな世界から、繁栄の世界に行ってしまいました。

 でも、どこか通じている気がしませんか。

 サラサラした血液が体じゅうをめぐっているかぎりは、私たちは健康でいられます。
 経済も滞るといけません。お金の流通速度が失速してしまうと、不景気になるし、どこかに富がかたよって蓄えられれば経済は不健全になるといえます。
 人と人との交流がさかんであれば、町でも活気やぬくもりがあり、発展するし、それは家庭も学校も企業も社会もみんなそうなのではないでしょうか。

 ナノテクノロジーという技術が思い出されましたが、細かければ細かいほど、いろいろなところへ入りこめるし、異質なものともなじみやすく、循環もしやすいのではないかと思います。

 これは呼吸にもいえます。
 焦ったり、あわてたりすると、荒い息づかいになります。
 怖いと息を殺します。何かにとらわれすぎると、呼吸が浅くなったり、乱れたりします。
 吐く息を細く長くしてリズミカルに呼吸を行うときには、精神も安定し、平静でいられ、爽快な気分になっています。

 これによって、体内を血がよくめぐることができるわけですね。

 このように、日本語の「サ」には、単にサラサラとかサッとのような音からイメージされる感じだけではなく、いろいろな意味が互いに有機的に結びつき合っているような、たいへん滋味豊かな果物のような、ジューシーな味わいがあるということが、わかっていただけたかと思います。

今夜は、このへんで。

モミヂ

赤や黄色に紅葉した、いつくかに裂けた形の葉の呼び名は、カエデが正しいのか、それともモミヂのほうが正しいか。そんな疑問をもったことはありませんか。
カエデについては、万葉集で「かえるで」という名がみられ、形が蛙の手に似ていることに由来するみたいです。たしかに三つに裂けているものは水掻きこそついていませんが、蛙手のようですね。そして、裂け方(裂片)が五つのものもありまして、植物学的な分類では三つのほうを、中国フウと呼び、五つのほうをアメリカフウと呼ぶそうです。フウとは、木扁に風と書く、「楓」のことで、カエデという言葉にたいし、この中国の漢字を借りてきて当てたのが、今日、この漢字をカエデと読むようになった始まりのようです。ある人はつぎのようにいっています。
「古代律令貴族知識人たちは万事に中国詩文の論拠がないかぎりは安心できなかったために、日本の「カエデ」と中国の「楓」とを同一視しようとし、おかげで、後代の人々までを混乱に引き入れることとなった。」
(斉藤正二『カエデと日本人』)http://homepage2.nifty.com/chigyoraku/report1.htmlから孫引き

紅葉

なお、学名はカエデ属を表すラテン語のAcerです。ほぼアケルと発音し、裂けるという意味があるとのことです。英米語になるとmapleですから、この響きならメープルシロップなどの名でおなじみなことでしょう。ところが、メープルシロップがとれる木は、カナダのケベック州やアメリカのニューイングランド地方、日本では埼玉県秩父市などに産する、サトウカエデという種類のカエデだけです。日本の代表的なカエデとなると、福島以南に分布するイロハモミヂですが、これはモミヂという名前がついています。カエデ属全体だと40種類近くもあります。その中にはカエデもあれば、モミヂと名のつくものもあります。また、アメリカハナノキとか、チドリノキなどカエデともモミぢとも関係のない名も混じります。
つまり、さまざまな名前が種類ごとにつけられているということなんですが、これらはおそらく人間があとから学問的に分類するためにつけたものと思われます。
それにたいして、言霊学のほうから調べてみると、モミヂは、揉むという言葉と出すという言葉が連なった、モミダシという言葉を本語、つまりオリジナルの語としているというのです。モミ+「ダシの約まったヂ」で、モミヂとなります。その意は、陽の気(ヒノキ)が陰中(ミツノナカ)に入り、ちょうど夕陽に空が赤く染まるのと同様に、葉も色づくということです。

紅葉2

揉み出すというのは、おそらく染料を麻や綿などの生地に染め付けるときに行う作業を念頭においているのでしょう。私はやったことがないのですが。ここでちょっと「モ」の言霊についてお話します。「モ」は火中の水の霊で、火に水が「舫(もや)う」という意があり、つまり水と火が合体する、そこにできるのが円形です。「モ」には亦(マタ)の意があり、それは股が左(火垂)と右(水気)の足をつないで半円形をなす股から来ています。揉むことで陰陽が溶け合うのを促進する。肩や足を揉むと気持ちがよいわけです。餅つきといいますが、これも考えてみれば、臼の中の餅を杵を使って、よりおいしくなるように揉んでいるということになるのかもしれませんね。
さて、しだいに空が赤く染まってゆく時間、夜明けであろうと、夕暮れであろうと、それは夜と昼、水と火、陰と陽との出会いの感動的な瞬間です。空が染まってゆくのも、葉が赤や黄色に色づいてゆくのも、宇宙の自然なバランスを保った運行とリズムがひとつに合っているんだなと思うと、これまでよりもいっそう紅葉を見るのが楽しくなってくるのではないでしょうか。
今回は季節にちなんでモミヂという言霊を取り上げてみました。それぞれの木の種類の違いはさておき、私たちが日常的にあの美しい紅葉を言葉で表現するのに使う上で、感性にしっくりと来る名づけになっていると思うのですが、いかがでしょう。

クレナ井

夕暮れどきのあの空の色の微妙なことといったら、たとえようもありません。
夕空の色をたとえて茜色という言い方があるけれど、そういってしまうと、何か決まった一色に限定されてしまうようで、惜しい気がします。
むしろここで思い出すのは、クレナイという言霊です。正確にはクレナ井と書きます。
どうしてイと書かずに井と書くのか、というと、イはア行なのにたいし、ワ行に属するのが井だからです。もちろん、これは井戸の井です。
そうすると水に関係するとすぐにわかります。
井の言霊には五つの法則があって、その第一が蒼空です。蒼は青という漢字を借りてきてもいいのですが、志道はこちらを使っています。

柿の木1

井とは、じつは潮水のことなんですね。このシホミヅは、万物をからむといわれます。
あらゆるものに潮水がからむ。というのも、シホは水(シ)と火(ホ)であり、それら二つがくみあいからみあうことにより万物を生ずる、そのもとであるからです。
空にあっても水。これが井の言霊の本質です。空に水がある。空の井戸。
どうしてお空は青いのと、幼い日に疑問に思った記憶はありませんか。
私はこの話をはじめて知ったとき、なんとなくわかるような気がしました。
天のことをアといいます。これはアの言霊が天だからです。そして、ア井というと、空の水を意味します。空色でもあります。そこから藍色が連想されます。

柿

さて、だいぶ前置きが長くなりましたが、話をクレナ井にもどしましょう。
空の水は一日のあいだじゅう刻々とその色を変えてゆく。目の覚めるようなさえた青空もやがて日が傾くころには色あせ、浅黄色にうつろいゆく。
そして、日没が迫ると、赤みをましてくる。夕日に輝きて赤きを、クレナ井と云う。
原典にはそのように書いてあります。

くれない2

その名の言霊を解くと、ヒクレヌア井となり、ヒクレは日暮れ、ヌはとっぷりと日も暮れてしまったというニュアンスを表します。ア井は先にも述べたとおり、天の井、つまり空の水を表す言霊です。

ここでヌの言霊のはたらきについて説明しておきましょう。この言霊は水火の霊で、水が火の中に入りきり、水と火がくみ極まってその文(あや)目つまり輪郭や文様も分からぬほどの暗さをなすことにあります。
ヌは刻限でいえば夜の八つ時(午前二時前後)にあたります。
ただし、ここは日も落ちて、人の顔もさだかに見分けられなくなる、たそがれどきのことですが。

くれない1

クレナ井というのは、こうしたたそがれどきの、赤みをおびてグレーや墨や藍にも混じり複雑に染まった空の水の深い色のすべてを包み込む言霊とであると考えてみるとよいのではないでしょうか。
何色と一つに決められないほどにいろんな色が複雑に混じった複雑な色というのがありますね。何とも形容のできない、名づけようのないものにたいして、私たちは言葉を失い、沈黙するしかないのです。

でも、言霊は私たちのそうした心のとまどいやおののきをよそに、あの刻々とうつろいゆく微妙な色の奥にある波動の複雑微妙なひびきをそっくりそのまま認めている、というよりもむしろその豊かさそのものの源泉であるかの
ようです。
それは天の真名井と呼ばれる宇宙根源の生命の噴出し口でもあるでしょう。
言霊とは物の名を人間の肉体頭脳で案出するなどという営みなとはいっさい縁のないものです。

ちなみに、天子におかせられては、クレナ井という語はその色のうつろいやすさのゆえに、ヒクレヌア井の反し(ヒクレはヘに、ヌア井はニに約まる)である、ベニ(紅)は禁句であって、その代わりに緋と唱えたということです。
しかし、うつろいゆくことほど真実なものもないわけですね。そのなかで変わらぬものをしっかりと意識して生活したいものです。

くれない3

舟と天原と青海原

「フ子」(フネ)の言霊のもとが、
「アフ子」です。アは起言といって、省くことができるので、フ子つまりフネになるのです。
註・・・山口志道の言霊学ではネは子と書きます。

小坪の海と空4

なぜアフ子なのかというと、これは仰向けに寝ることだそうです。
アフとは、あおぐ(仰ぐ)の古言で、アフぐから来ます。
おもしろいのは、「男子は伏寝、女子は仰寝なり」と志道がいっていることです。
どうして仰臥(ぎょうが)が女性の寝方なのか。また、男性が伏寝なのか。性交の姿を思い浮かべるか、天と地の位置関係を考えるか、それはあなたにまかせましょう。

とにかくここでは、伏寝ではなく、仰向けのアフネのほうを、海に浮かべ櫓や櫂でこぐ、あの乗り物を指す語に定め、フネという名を負わせたということに着目したいと思います。
まず形をイメージすると、仰向けに寝るということは腹を見せて寝ることですが、木をくりぬいてボート作ったら、どっちがお腹でどっちが背中か。これは簡単ですね。水に浮かべるときは伏せるわけにはゆかないので、くりぬかれた側が腹のほうになって、海に浮かべたときは天空を仰いでいるかっこうとなります。

原典は「船神は女体なり」といっています。
ちなみに帆とは、フクロの反し(hukuroを約めるとhoになるから)のホで、風を納袋(入ルルフクロ)という言霊です。

小坪の海と空2

水穂伝の五十音の成り立ちの法則からすれば、このことは非常に理にかなっています。
地にあるのが陰すなわち女。
天にあるのが陽すなわち男。
水は軽くして澄みのぼり天をめぐるけれど、やがては地にくだって山海を成す。
火は重くして地に続き、大地を形づくりながら、やがて天にのぼって太陽や月や星となる。そこで、天は陽、地は陰となるが、互いに常に交合しながらさまざまな働きを行うのが、水と火、すなわちイキのくみあいからみあいによりさまざまな法則を分有する言霊であることになる。

ちなみに、天原(アマハラ)とは、アは天、マは「向」き合うという法則の言霊、ハラは広いということで、空と海とが「向伏(ムカブシ)て広大なる」つまり一方は伏し、他方はこれを受けるという感じに出会い、溶けあってはてしなく広がるという意になる。
青海原というのは、アヲは蒼穹の蒼、ウナは言霊返しの法則でアとなり、天のこと。
つまり、天(空)も海も青一色にして互いに向き合い接してひとつであることを、アヲウナハラと呼ぶという。

小坪の海と空3

水と火、女と男、天と地。
それらは向き合い、調和した性質と働きを現わすために助け合う。

フネという言霊は、だから海に浮かんで、天を仰ぎ見、天地の波動が交流する
ひとつの調和した受け場ともいえるのではないかなと思ったのですが、いかがでしょうか。
空には太陽や月や星がたえず規則正しい運行のもとに軌道が描かれます。

舟に身を横たえ、空の星月に見守られながら安らかに眠りにつく。
だんだんと寒さをましてくる十一月の夜に、舟の言霊は、そんなことをイメージさせてくれるのでした。
プロフィール

粂 潤一(くめ じゅんいち)

Author:粂 潤一(くめ じゅんいち)
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