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民の心をおもんぱかる古代の天皇

夏は足早に去ってゆく。毎年の実感である。

窓から青々とした山が眺められ、降るような蝉しぐれのなかに、うつしみ
を置いていると、いのちに溢れる夏の光と影のコントラストとともに、
一年でいちばん時の流れを感じさせる季節だなと思う。

ところで、今日、たまたま天智天皇のつぎの有名な和歌にたいする
一風変わった解釈に出会った。

秋の田の刈穂の庵の苫を荒み わが衣手は露に濡れつつ

「田んぼの稲刈りも終わって、収穫した稲を干す小屋が粗末なので、天皇の衣の袖が
露に濡れたことよ」というのが一般的な解釈だ。

ところが、これに異論を唱えた人がいる。

「わが」を「わたし」と受け取れば、天皇自身となるけれど、じつは
これは民百姓を哀れんだ御製であって、「わが」というのは、民百姓
のことなのだと。うーむ、これは、逆読み、裏読みともいえる。

この人は、江戸時代に生きて独創的な言霊学を大成した山口志道という人。
当然、言霊からこの古歌の意味を考えているわけだが、根拠としては「わが」
の「ワ」の言霊というのは、「自分」のことだけではなく「他」も含んでいるという。

それがわからずに天皇自身の詠まれた御製としたり、他の人が詠んだと
した当時の国学者にたいし、痛烈な批判をしている。
自他の区別がないばかりか、人も鳥獣も天も地も、あらゆる形あるものを、
「ワ」の言霊がつかさどっているとして、水と火の合わさった「○」で表される
といっている。いのちの連続性、ワンネスということが思い浮かぶ。

地上において形をなす最初が、水の一滴の玉と結んで露となる姿で、これを言霊
学の見地から分解すると、ツは渦巻き、ユは水と火の和をあらわすユのコトダマ
であるというのも、いのちのデリケートさを偲ばせるものがある。

天皇は、いまでこそ象徴天皇であるけれど、太古の昔は、まつりごとを行っていた
わけだ。農事とご神事と政治がひとつになって、国が治められていた。その国の
頂点に立つ天皇に私心がなかったとすれば、天智天皇の歌も、そのおおみごこ
ろが常に民に向けられていた名残だろう。

自分のことばかり考えることなく、毎日、人々のことや国全体のこと、地球全体
のことを思えたら、心の器も広くなり、そこへ限りない宇宙の光とパワーが注ぐ
んじゃないかななどという考えが浮かんだのだった。
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