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カテゴリー分けと名づけの重要性

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たとえば、有機栽培で育てられた農産物を
買い(あるいは自給し)、毎日の食生活にと
りいれている人には、「オーガニック」と
いう言葉は、なじみある言葉になっている。

でも、世の中の大部分の人には、さほど通
りの良い言葉ではないかもしれない。

仮に、オーガニックフードの情報を得て、
それを人に伝えたいと思ったなら、その手段
としては、ブログでもWebでも紙媒体でもい
いが、これを発信する際、どういうカテゴリ
ーにいれたらよいか。

引き続き、こうした興味関心を持ち続けた
い、そして、この手の情報をキャッチするた
めのアンテナをはり、発信基地となるカテゴ
リーを設けたいと思ったら、どんな名前がふ
さわしいだろうか。

できるだけ類似の情報が違和感なく収まる分類
枠、今後ずっとそれを使い続けられる名前とし
ては、どんなものがふさわしいかのかという問
題につきあたる。

通りのよさということなら、「スローライフ」
という言葉のほうがいいかもしれない。
キャンドルナイトなんかは、このカテゴリー
にいれられて違和感がないだろう。

イメージの包括性という点でも、優れている
感じもする。けれど、スローライフから派生して
いる(これは逆かも)「スローフード」というと、
必ずしも「オーガニックフード」を意味しない。

新しさという点では、どうだろう。

スローライフ。オーガニックライフ。

どちらも、甲乙つけがたい。どちらかというと、
オーガニックライフのほうが、具体的な物をあつ
かいやすい。スローライフは思想に近いかもしれ
ない。
オーガニックライフだったら、かっこつけずに
オーガニック生活としたい。生活感がある。

「ロハス」というのが、少し前に登場し、流行っ
たと思うが、こちらは経済効果の観点から、新しい
マーケットして期待されたものであるような気がす
る。
“LOHAS”は、ライフ・オブ・ハーモーニー・アンド
サステナビリティーつまり調和と持続可能性のある
生活みたいな意味の略称で、ぼくはあんまりピンと
こない。

「エコライフ」はどうか。ちょっと古い感じもする
けれど、わかりやすい。大衆意識にも浸透していそう。

「オルタナティブライフ」はどうか。

代替エネルギーから代替医療まで。ありとあらゆる
分野で「もうひとつの」選択肢、別の行き方みたいな
コンセプトが成り立つ。
これは、もともとは、「カウンターカルチャー」とい
う発想とカテゴリー名に由来するのではないか。

ある意味では、中身のことは何もいってない。

これまでの主流に代わり、新たに発見され、注目されて
きた方法や思想や生き方なら、どんなものでもオルタナ
ティブという形容詞が冠せられる。

地域通貨だって、そのひとつのはず。
サブカルもこれに近いかもしれない。
そこには、市民権を得ようとする蠢動みたいなのがある。

西洋医学にもとづく医療にたいし、代替医療、あるいは
補完代替医療というのがある。
これらも、必ずしも実体とは関係ない。見る人により、
変わってしまう。これは代替医療、いや、ちがう、「伝統
医療」と呼びたい・・・というふうに。

最近は、日本でも統合医療がさかんになってきた。

というか、まだまだ萌芽の状態であるが。

これだって、西洋と東洋、現代と伝統を足して、両方の
良いところをとりいれた医療という意味で、抽象的とい
えば、そうであるけれど、だいぶ言葉がその実体や内容
をカバーしてきているとは思う。

青森県の※六ヶ所村の核燃料再処理施設をめぐって環境
運動が日本各地で起こっているが、これは大メディア
ではほとんどまともに取り上げられない、しかも、た
いへん重大なニュースヴァリューをもった情報である。

これをどういうカテゴリーにいれればいいか。
原子力に替わる「代替エネルギー」として、※常温核融合
やフリーエネルギーがある。でも、こちらは、あ
くまでも未来ビジョンに関係し、今の地球や日本の低い
次元の現実を直視するためには、不適切だろう。

一昨年、葉山藝術祭で知った元原子力情報資料室の方の提唱
する※「ピースフルエナジー」などは、通りの面で、いま
ひとつ。だから、カテゴリーとして使用しにくい。

また、※昨年末に観た映画『大丈夫であるように』でCocoo
の伝えてくれた沖縄の普天間基地移設予定とジュゴンの
棲む海を守ろうという人たちの緊張した現状。
これと六ヶ所村のことは、非常に密接につながっていて、
「エネルギー問題」というくくりでは、分類できない。

せめて「環境」というカテゴリーに同居させてあげること
で、北の情報と南の情報は、それぞれのエリアの限局性を
超えて、ハートでひとつに結ばれることが可能になる。

いずれにしても、今、文明が行き詰まり、新たな文明への
過渡期である。それだけにまた、マスコミ自体が本来の役
割と責任を果たしていない以上、現実に根ざして一人一人
が自発的に外側の現実と内側の状態を見つめて感じ、考え、
自分の言葉を獲得してゆけるように支援する必要性を、メ
ディアに関わる仕事をしている身として感じている。

そのひとつとして、分類のしかた、カテゴリー分け、名づ
けについて今、考え、ここでシェアすることが自然に要請
されたような気がする。

名前というのは、不思議な力をもつ。
それはときに実体から遊離して独り歩きする。

名前はイメージをくくり、ラベルを貼るものである以上、
どんなイメージを抱くのかという個々人により異なる面
までは関知しない。

にもかかわらず、ネーミングやコンセプトの与える影響
はけっして軽んじられない。

また、どんな名前をつけようが、漁に出て行って魚を
とる、苗を植え、稲を刈り取る、患者を診て、手術を
施行する、セールスに出かけ、クロージングする、設
計にしたがい製造するという日々の営みが365日、営
まれている。

人々は名前を通じて、そのものを見て、語り、あまり
変わらないイメージを持ち続けてきた。それは刻々と
変化する海の表面や人の感情や気分ほどには、敏感で
も精妙でもない、きわめて牢固とした物体で、私たち
の習慣的思考のメカニズムを支配してきた。

そして、生活のための社会のシステムは巨大な歯車を
回し、生産し、経済性を維持するためとめようもなく
稼働してきた。

派遣切り、中小企業の相次ぐ倒産、日比谷公園にでき
た派遣村、天皇によるこの問題への異例の言及と、こ
れまでよりかかってきたもの、信じてきたものが一挙
に崩れ去りつつある今、自分はどこに立ち、何者であ
り、どんなカテゴリーにあてはまり、どのカテゴリー
で生命を投入してゆきたいのか、どのカテゴリーに収
まりたいのか、一人一人に今ほど問われているときは
ない。

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