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『Cold fusion 太陽がくれた知恵-常温核融合の言霊的解明』サヨナラ原発 第3回 

「原発サン、アリガトウ」で感謝すべきものとは・・・

 なぜ、原子力発電があらゆる危険と自然破壊をおかしてまで利用され続けてきたのか。その秘密は人類の文明にたいする考え方の錯誤にあったのではないかと思われます。

 ひとつには、「より大きな単位をもつ、効率的なエネルギーにシフトすることが幸福と繁栄をもたらす」という固定観念にもとづく考えです。
 
 化学エネルギーにたいし、100万倍以上ものエネルギー密度をもったエネルギー。それが核エネルギーです。同じ熱量を発生させるのに、ウラン利用の原子力発電が必要とする原料(燃料)は、石炭、石油利用の火力発電の場合の百万分の一から千万分の一も少なくて済みます。小さな燃料から大きなエネルギーが産み出せる。

 一度、この魔術的な効率性を知ってしまうと、後戻りはできないとでもいうのでしょうか。でも、いったい誰がいちばん恩恵をこうむっているのでしょうか。われわれにとっては、少なくともお金の面ではなさそうです。

 原子力の発電単価(kwh)5.9円は、他の水力13.6円、石油火力10.2円などと比較しても安く、世界的に見ていちばん安いはずの水力よりも安いとの資源エネルギー庁の統計があります。これはおかしいと、田中優さんが国会図書館で調べた結果、原子力は初年度で13.9円、耐用年数を通して12.3円だったということです。

しかも、われわれの支払う電気料金は世界でも最も高いと来ています。これは電力会社が原発にかかる経費に数%の報酬額を上乗せした分を国から受け取れるしくみのせいで、無駄な施設を建設し続け、その余剰分が、われわれの支払う電気料金に跳ね返ってくるからであるというわけです。
 
 エネルギー効率がいくら良くても、燃料コストの下げ分は電気料金に反映されず、膨らんだ設備投資コストを、われわれが負担させられていることになります。

 奇妙なのは、電力消費者は別にたくさんの電気を欲しているわけでも、原発関連施設の増設を望んでいるわけでもないのに、危険なFBR(高速増殖炉)や再処理施設などを含む施設のため、巨額の投資をするたびにこれを支えてきたことです。

 実際には電力消費者に直接に欲望に刺戟と満足を与え、そのサイクルをめぐり続けさせてきた力は、形のないエネルギーの魅力ではありません。むしろ、それに形をもたらしている電化製品の誘惑と、それが当たり前となってしまった生活スタイルの習慣だといえます。もう一つは、産業界にもたらす経済的混乱への恐れです。

 大震災で福島第一原発が大量の放射能漏れに到った今も、2030年までに原発14基以上を新規に建設する国のエネルギー基本計画(2010年6月策定)をそのまま進めてよいと考える人々が、四人に一人近くもいる背景には、電力供給がストップすることにより、電気に頼った暮らしが維持できなくなる恐れや社会全体が経済的混乱を招く恐れが、心の底深く横たわっていることでしょう。

 しかし、そうした恐れは実体をもつものなのか。私たちは本当はどれくらい電気に依存していて、どれくらいまでなら、電気なしにやっていけるのか、皆目見当がつかなくなってしまいました。

 それは、文明社会に暮らしてきた人間にとっては、ほとんど未経験の領域に踏み込んでゆく実験のようなものです。

 オール電化にしても、本当にそれを望んでいる人がどれほどいるのか、そうした需要をマインドコントロールにより、ムリにつくりだそうとしてきただけではないか。

 また、事業用の電力供給に関しては、工業製品を大量につくりださないと日本経済全体が失速し、逼塞してしまうといったような考えがあるかもしれません。

 大震災で多くの人が亡くなり、福島第一原発の過酷事故の経験を経た現在、日本国内の原子炉の全廃を望む人々が増えている一方で、原発がなくなってしまったら困ると恐れている人々がいまだにかなりいる現在の状況で、求められているのは、
これまでよく考えてこなかった、ベールに包まれた物事を明らかにしたうえで、岐路に立つ日本の進路を決めてゆくことでしょう。

 先にエネルギー源の効率のことに触れましたが、ここで少し、ev(エブ)というエネルギーの単位の話をします。

 摂氏20℃くらいの空気を構成する酸素や窒素の分子や原子は、その温度に相当する熱エネルギーをもちつつ、熱運動をしています。この場合の運動エネルギーが、0.025ev(エブ)です。

 このエブは、電子ボルトといって、その定義は「一個の電子を電位差1Vの空間で加速化したときに得られる電子が得る運動エネルギー」です。evは常温核融合でたいへん重要なエネルギー単位です。

 千分の一を表すm(ミリ)に換算すると、1ev=1,000mevなので、0,025evは、25mevということになります。
 わかりやすく卑近な例でいえば、風呂で40℃の湯に浸かっているとき、それと同じ程度の運動エネルギーで熱運動をしている水の分子が、私たちの体の皮膚にぶつかっていることになります。

 一方、宇宙線が地球の大気の上層で酸素や窒素の原子核と衝突すると、原子核を破壊し、軽い原子核や中性子が生まれますが、放出される中性子のエネルギーは、数百万電子ボルトになります。
 
 百万電子ボルト(10の6乗ev)という、この大きなエネルギーを表す単位がM(メガ)をevの頭にくっつけた、Mev(メブ)です。大気上層に宇宙線によりつくられる中性子は数Mevものエネルギーをもっています。
 
 ここで、化石燃料のエネルギーと原子力のエネルギーとの比較という観点から説明しましょう。炭が燃える化学反応では、炭素原子Cが、2個の酸素原子Oと化合してできる二酸化炭素CO2は、2.7evの熱エネルギーを発生します。

 つまり、電子が配置転換するだけの化学反応で発生するエネルギーは数evです。では、原子核そのものが変わってしまう、核変換による核エネルギーの場合はどうでしょうか。まずは、核融合から見たいと思います。
 
 前回、登場したユタ大学のフライシュマンの常温核融合の実験モデルでは、重水素が互いに融合する三種類の反応式があります。左辺の重陽子(重水素原子から電子をはがした、裸の重水素d)どうしの融合である、d+dにたいし、右辺がそれぞれトリトン+陽子、ヘリウム3+中性子、ヘリウム4+γ線の三種類となって、それぞれ放出される過剰熱(Q)と呼ばれる、各粒子のエネルギーの和は、それぞれ4.13Mev、3.27Mev、23.8Mevです。

 これは初期の頃の実験で、現在に到るまでに、多種多様な方法で常温核融合の実験が行われ、近年は放射線も無視できる程度にしか出ず、実験の再現性の点でも6割以上と格段に向上してきています。2008年の荒田先生の公開実験においては、ヘリウム4の他に中性子はまったく検出されず、完全にクリーンなエネルギーの取り出しに成功しています。

 さて、上の反応式に戻りますが、確率的には三番目のγ線の出る反応は、他の反応パターンと比較して、1:1:10-7となり、他の二つの場合よりもずっと起こりにくくなっています。10-7(10のマイナス7乗)は、1,000万分の一ですから、過剰熱(Q)が23.8Mevの場合を除き、一番目と二番目の反応におけるエネルギーは、数Mevということになります。

 ただし、化石燃料から発生するエネルギーの単位であるevと、この常温核融合実験によるエネルギーの単位であるMevのみを比較し、単純に百万倍違うと考えるのは正確ではありません。
原子核から分裂・融合により巨大なエネルギーが生まれるしくみは、アインシュインのE=mc2の法則によって説明されてきました。質量1gの物質がエネルギーに変わると、石油2000tを燃やして得られるエネルギーに等しくなるとされています。

 ここで問題にしたいのは、原子力発電の原理である核分裂の場合です。核分裂の際に放出されるエネルギーは、核分裂片の運動エネルギー、核分裂中性子、およびγ線、β線のエネルギーでそれぞれ異なり、約190-250Mev(1億9,000万-2億5,000千万電子ボルト)です。これは、同じ1gの質量から得られるエネルギー量として比較すれば、石油や石炭が燃えるときの化学反応の約300万倍に相当します。

 この原理からすれば、原子力発電はごく少量の原料によって、「分散型エネルギー源」を生み出すことが可能なはずでした。ところが、あまりの危険性により、そんなことは実際にはできようはずもなく、原発プラントは、巨大な「集中型エネルギー源」にならざるをえませんでした。

 その結果、環境への負荷を増大させ、施設の立地にあたり常に住民を脅かし、ばらまかれるお金が人の心を荒ませてきたのでした。

 つまり、原発はそもそも建ててはいけない。エネルギー発生源として、いかに効率がよくても、莫大な利潤の受益者以外には(その人々も事故が起きたとき責任がもてるわけではないのですが)、誰にとってもありがたくはない発電方法。それが原発だったということですから、現在の政府の原発政策で考えられているように、我が国のエネルギー自給率を上げるための第一選択にはなりえないはずですが、まるでそれ以外のエネルギーがないかのように、国民も信じ込まされてきました。

 原発がその危険性と環境汚染をもたらすエネルギー源であるにもかかわらず、存続してきた理由の第二は、世界の資源の有限であることや我が国に資源の乏しさを解決する唯一の手段として原発依存の道を選んだことにあります。

 そこでは国際間の平和外交にもとづく相互扶助の精神を信じる思想よりも、他国に弱みを握られまいとする思想が優先しており、いまだに国家安全保障のためには核抑止力が有効と信じる立場がうかがえます。

 これは濃縮工場や再処理工場からは劣化ウラン弾やヒロシマ型(ウラン)・ナガサキ型(プルトニウム)の原子爆弾もつくれることと無関係ではないと考えられます。

 自然界の生態系にモデルを見ることができる、相互依存的な互助互恵のシステムに頼る方向から平和へのアプローチを考えるよりは、疑心暗鬼の心で国際社会から孤立し、自助努力の道しかないという考えの裏にあるものは、何でしょうか。

 フリーエネルギーのように無限に資源のあることへの恐れと、貧富の差がなくなり、所有権や獲得の機会の平等が実現してしまうことにより、既得権やコントロールの力を失うことへの恐れがあると思います。もちろん、そんなことを考えているのは、国民の大半ではなく、ごく一部の人たちだけでしょうが。

 それらの考えが消えるときは、同時にそれらを支えてきた文明の根底にある、誤った固定観念による催眠術を解いて、すべての人間に完全性と神性が宿り、いっさいの差別も支配被支配の関係を正当化する理由も幻想にすぎないことに目覚める必要があります。

 資源の枯渇という観点からすれば、石油はあと50-60年、ウラン(235)もあと50-60年。Pu(プルトニウム)利用のFBR(高速増殖炉)利用で500年ですが、これは核廃棄物処理の問題があります。
 核融合の分野でも、世界的な規模の共同開発が進んでいます。フランスのカダラッシュが予定地になっている、国際熱融合実験炉ITER(イーター)の建設プロジェクトです。実用化は30年以上先といわれています。この熱核融合炉については、よく調べていないのですが、常温核融合のようなクリーンなエネルギーとは異なるものと思われます。第一、超巨大な「集中型エネルギー発生源」である点でも、理想的とはいえません。

 一方、福島原発事故後、国内外でにわかに注目を浴びてきている、太陽光発電や風力発電などの自然エネルギーですが、「分散型エネルギー源」として、環境保全の見地からはよいのですが、発生エネルギー密度が低いため、大量のエネルギー需要を分担するには不向きで、せいぜいエネルギー需要全体の10%くらいといわれてきました。

 それに加えて、日本の特殊な事情は、さらに代替エネルギーの普及を阻んできました。欧州で個人や法人が太陽光発電や風力発電により得られたエネルギーを売電する際に優遇措置を受けて買い取り価格が高く、積極的に太陽光発電に切り替えることが推奨されているのとは正反対の事情が日本にはあります。

 おまけに送電線が独占企業に押さえられていますから、売電だけでなく配電に関しても、代替エネルギーは脇に押しのけられる傾向がありました。このため、世界有数の技術をもちながら、実用レベルになると自然エネルギーのシェアは伸びてきませんでした。

 これからは日本ももっと自然エネルギーに期待する度合いが大きくなるでしょうけれど、それと同時に、ぜひ、注目してほしいのが、これまでほとんど知られてこなかったタイプの核エネルギー利用です。
 
 それは、「分散型クリーンエネルギー源」という、理想的なタイプとして分類される、常温核融合によるエネルギーです。

 1992年に重水・Pd電解法(パラジュウムに重水素を吸収させる常温核融合の実験法の一方式)で過剰熱が検出されたと発表し、世界の注目を浴び、さらに今も最先端で研究成果をあげつつある高橋亮人博士(阪大名誉教授)は、その著作の中でつぎのように述べています。

「もし、小型でクリーンな分散型核エネルギー源が開発され、家庭やオフィスビルや工場などでの個別利用、自動車や公共交通の動力源として利用できるようになれば、すばらしいパラダイムシフトをもたらすだろう」(『常温核融合』2008 -凝集核融合のメカニズム 高橋亮人著 工学社)

 そうした理想の実現に向けて、着々とCold Fusion(常温核融合)が開発されつつあることに、多くの人々が目を向けないことは残念です。
 
 従来の核分裂による核エネルギーは、人類にどんな恩恵をもたらしてくれたのでしょうか。大気や海水や土壌の汚染、動植物への汚染から食物の汚染を通して、人体への外部的、内部的な影響をもたらし、作業員の健康被害をもたらしてきました。また、地域の住民に常に不安を与え、遠く離れた人々にも、ストレスを与えてきました。もちろん、原発施設誘致を受け容れて、大きなお金を手にした人たちもいたでしょう。

 そうすると、原発はそうした自然破壊や健康被害や不安によるストレスと、欲望充足以外には、恩恵らしきものは何ももたらさなかったのでしょうか。いっそ原発などに出会わなかったほうが、幸せだったのでしょうか。

 いいえ、そうは思いません。私達がもし、原発に感謝するとすれば、それは電気を安定供給し続けくれたことにたいしてではなく、人類が陥ってしまった誤った考え方に気づきをもたらし、迷妄から目を覚まさせてくれたことにたいしてではないでしょうか。

 そうです。波音がし、松林の続く美しい東海村の実験炉に戦後、初めて「原子の火」がともって以来、原発はわれわれに数々の体験を通して、重大な課題に直面する機会を与えてくれました。ここで、問い直す必要があるのは、「私たちは果たして学ぶべきものを学んだのか?」ということです。

 科学信仰と安全神話のもと経済成長や便利さ・快適さなどの欲望充足のために、原発というエネルギー発生源の危険性には目をつぶりながら、生産活動と消費活動にいそしみ、経済目標をつぎつぎと果たすことで、戦後日本人の多くは、「何とか前に進んでいる」と考えてきたのでした。

 その一方で、被ばくや環境汚染の不安や恐怖、自然破壊の痛みや悲しみを抱えながら、それでも原発の存在を否定しきれず、選択の余地のない電力供給手段への依存から自由になることもできない、複雑な心理状態を持ち越してきたのではなかったでしょうか。

 そして、とうとう今回の東日本大震災と、それに続く福島第一原子力発電所の事故が起きたことで、これまで曖昧にしておいたことや避けてきたことに再び直面させられることになりました。

 3月11日から毎日のように報道される、おびただしい情報洪水に私達は溺れ、精神が不安定となり、疲れ果てました。けれども、本当はいちばん大切だったのは、テレビのスイッチを消し、パソコンを閉じて、これまでの習慣的な意識のあり方そのものを見つめ、問い直す機会にすることで、集合意識全体がこの体験の意味を深く理解することではなかったでしょうか。

 原発がどうして存在したのか。物質的経済的な観点しかもたないとすれば、確かに原発は化学エネルギーに比べて百万倍ものエネルギー密度をもっていますから、水力や石油火力などのエネルギー源を補うように電力需要を分担してきたという主張をする人がいても、おかしくはないことでしょう。

 しかし、これまでにないエネルギー源の新たな開発の無限の可能性という観点に立てば、原発とてひとつの学びのステージにすぎないのでしょう。

 われわれの文明を、こういう表現が適切かどうかは別として、持続可能という、いまや市民権を得ている価値観にもかなうように、飛躍的に創造進化させるという理想の実現のために避けて通ることができないものは何かと問われたとき、ひとつの答えが考えられます。

 それは意識の完全なる目覚めであり、原発の苦い体験というものは、原爆の悲しい体験と同じくらい、必要不可欠な学びの機会だったということです。あるいは人類自らが与えたものだったかもしれません。

 けれども、ここで私達が確認しておくべきことは、もうその必要はない、ということです。大震災やそれに続く津波や原発の過酷事故などを通して、人類に覚醒をもたらすということをしなくても、人類自らがもっと自覚的に進んで気づいてゆこうとするなら、もはや原発の奥深くに蔵された役割というものも、終焉を迎えざるをえないことでしょう。
 
 高橋亮人博士は、つぎのようにもいっています。

「巨大な集中型エネルギー発生プラントと社会の隅々までの電力エネルギー転送ネットワークは、人類が生んだひとつの立派なシステムである。しかし、地震などの天然災害によるシステムダウンの可能性があり、またテロの標的として見えやすいなど、危機管理に大きな問題がある」

 しかし、それだけであれば、人はこうも主張することでありましょう。
 
「それならば、今回の教訓に学んで、危機管理体制を強化し、安全性の向上に努めながら、原発をさらに進めてゆくだけである」と。

 そういう人間は、まだ学ぶべきものを残しているのかもしれません。そこで、私達が自らの胸に訊いてみるべきなのは、「わたしにも、まだ学びが必要なのだろうか。それとも、まだ学びが必要な人たちのために、これからも度々、今回のような目に遭うためのおつきあいをしなくてはならないのだろうか」という問いです。

 人間のすばらしいところは、経験からいくらでも学べることです。

 大江健三郎氏は、地震の前日に偶然にも1954年のビキニ環礁における水爆実験で被ばくし、死ぬまで核抑止力神話や原子力発電所とその危険性と闘った、当時、彼と同世代の漁師に関する記事を書いていたという文で始まる、『歴史は繰り返す』というタイトルの文章につぎのようなことを書いています。

「2008年に亡くなった現代の日本の偉大な思想家の一人、加藤周一は、原子爆弾と原子炉について、千年前に清少納言という女性によって書かれた『枕草子』の一節を引き、『とても遠くにあるように見えるのも、実際にはとても近い』ものだと言っている。核の悲劇も、遠く非現実的な仮説に見えるかもしれない。しかしながらその可能性は常に我々の身近にある。日本人は核エネルギーを工業的な生産性という意味において考えるべきでない。地震、津波、そしてその他の自然災害のように、広島の経験は人類の記憶に深く刻まれるべきである。人の手で生み出されたからこそ自然災害よりもはるかに悲劇的なのである。原子炉を建設することで人の命を軽視して過ちを繰り返すのは、広島の犠牲者の記憶に対する、これ以上ないほど酷い裏切り行為である」(〝THE NEW YORKER〟 3月28日 佐原由衣訳) 

 大江氏は、このあと、日本が戦争に負けたときは、10歳のときで、その翌年に新憲法が公布されたが、そこに明記された非核三原則を含む平和主義が、戦後日本の理念の表象たりえているかを自問自答し続けてきたこと、そして、日本は再軍備をし、1960年代の密約で米国が日本に核を持ち込むことが可能となってしまったが、戦後の人間の尊厳の理念は完全に忘れられたのではないと述べ、「亡くなった人々は我々がそうした理念を尊重するように目を光らせているし、亡くなった人びとは我々が政治的現実主義の名のもとで核兵器の破壊的な性質を過小評価するのを妨げている」という言葉を記しています。そして、つぎの結びに近い文で、核兵器のことから原発のことへと、鮮やかな像が現われてくるように思考が焦点を結びます。

「その中に日本の曖昧さがある。この国はアメリカの傘に守られて避難している平和主義的国家なのだ。この国は福島原発の事故で、日本人が再度、広島や長崎の犠牲者と連帯し、核の危険性を認識して、核の賛成派が提唱する核抑止力の効率性の幻想を払拭することを望んでいる」 

 「日本の曖昧さ」。これを何とかしなくてはいけない。本当にそうだと思います。

 常温核融合のもたらす夢のような未来ビジョン。常温核融合が実用化するとどんなに良いことがあるのか。下書き段階ではそういう水平的な発展方向で書いていたのでしたが、改めて加筆してゆくと、なかなかそこに入ってゆくことは許されず、原発とともに生きてきた私達の意識を問い直すという方向をまず、垂直的に掘り下げる方向で書かされてしまいました。

 そして、さらには、偶然入ってきた大江健三郎氏の文章によって、第3回はどうやら筆者の思わぬ着地点に落ちつきそうです。過去の課題を完全に果たすことなしに未来はないということでしょうか。

 原発がダメとなれば、おつぎは自然エネルギーを使おう、あるいは常温核融合に夢を託そう。そんな簡単なものではありません。

 どんなすばらしい発見や研究成果が世に示されようと、それを受け取る人々が自然の偉大さと生命への感謝の心を忘れた、人間中心の身勝手なエネルギー利用を考える低い意識にとどまっている段階では、「太陽のくれた知恵」も有意義に活かすことすらできない。

 そういうことを、自ら書きながら、教えられたのではないかと思います。

 これまで原発で命を落とした人々の記憶を闇に葬ることなく、単にキケン、コワイ、キタナイからと廃炉にするという発想でもなく、役立ってくれてありがとうというだけでもなく、私達が数々の過ちを通して、ついに大切なことに気づくまで見守ってくれた尊い存在として感謝し、このいまだ幼き魂の住む惑星で人々の意識の目覚めとともにお役目を終えた原発サンに「サヨナラ」をいいたいと思います。

 そして、もうこれ以上、つらい目に遭わせなくても、われわれは自らの知性と愛によって、自らの魂を高い理解の境地へと運びますと、原発サンに伝えましょう。

 さて、なかなかタイトルにある、言霊的解明にまで話が進みません。期待されている方には申し訳ないのですが、もうしばらくご辛抱ください。次回は、ネット環境で流布してきた大震災の原因についての異説の紹介、それから原発事故の背景に触れつつ、常温核融合の世の中にもたらす影響などについてお伝えします。

常温核融合が真に理想的な未来の創造にとって重要な役割を果たせるかどうかは、ひとえにわれわれの精神的成熟にかかっております。そのための準備がぜひ必要です。そうした考えにもとづき、じっくりと展開してゆきます(地球の次元上昇を迎えて、物事の起きるスピードが速まる一方で、意識はゆったりとした宇宙時間に同期化してゆこうとしているかにも思える昨今、まあ急いでもしょうがないでしょう)ので、なにとぞご了承のほどを―                                          (つづく)

      文責:粂 潤一
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Author:粂 潤一(くめ じゅんいち)
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