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“第1回 ゆるゆる瞑想の会in葉山”の報告

10月13日と14日に葉山で開催されたシャンタンのリードする「ゆ
るゆる瞑想」の会の報告をさせていただきます。

一色会館での集合写真 夜1

それではまず、13日の夜の部(今回は他のパートでも何度か話して
いるはず)だったかと思いますが、シャンタンがしてくれたお話を
想い起こすことから入ってゆきましょう。

シャンタンの瞑想の道の師であるバグワン・シュリラジニーシは、
その生涯に何度か改名した末に、肉体を離れる前にOSHO(和尚)と
いう日本語名を名乗り、それから肉体を離れました。

最期のレクチャー(講話)が『禅宣言』です。
丹田に入る瞑想をOSHO自身がやりました。

丹田に入って行く。深く深く降りて行く…という瞑想を、具体的
にOSHO自らがガイドして行ったのが、最期のレクチャーになりました。

(ここでの誘導瞑想-ガイデッド・メディテーション-とは、講話を
聴いている人々が0SHOに導かれ、彼と共に瞑想に入るという意味)
カッコ内は筆者アカームによる註。以下、同様。


しかも、彼はOSHO(和尚)という名前で肉体を離れます。という
ことは、「日本」を指差している。そして、「丹田」を指差している。
この一点ですべては調(ととの)います。

丹田の中にすべて意識とエネルギーが入ったとき、宇宙の中心と
つながります。

ここが切腹のときの死のセンターであり、生のセンターです。

(呼吸のとき、吸う息と吐く息のインターバル、隙間、息の出入の
まったくないポイントを意識できれば、そこにおいて生死を超え
た次元へとつながる次元間ポータルが口を開けて招いているのに
出会えます)

あの世とこの世、そして宇宙の中心とつながる場所なので、ここ
に入ることが悟るのにいちばんの早道です。

(もともと人間の本体は神の分霊-わけみたま-であり、すでに悟
った存在として、宇宙の中心と直結しているわけですから)

芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」という句は、まさに道元
禅師の「心身脱落(しんしんとつらく)」に匹敵する、マインド
もハートもすべて丹田(古池)の中へと落ちて吸い込まれ、空そ
のものとなった悟りの境地を詠んだものでした。


以上がシャンタンのレクチャー(講話)です。丹田がどうして大事
なのかということを、これほどわかりやすく、しかもこの重要性
がエンライトメントしたマスターのボディを離れる直前の行為に
暗示されていることを示すストーリーの形で興味深く解き明かし
た表現はないと思います。


あらゆる物質的発展を犠牲にし、ひたすら精神性と悟りを求め
てきたインドという国。そこには、何千年もかけたブッダフィ
ールドの光明エネルギーが厖大に貯留(プール)されてあり、
そこからあまたの覚者、エンライトしたマスターが生み出され
てきたということに、シャンタンが注目していることが、今回、
彼と話していてよくわかりました。


そのインドの、地球における、地球の次元上昇(アセンション)
期における役割、天命をになったOSHOが、今回の肉体生活の
ファイルナルチャンスで、死(移行)を前に「日本を指差して」
ボディを離れ、物質の地球からテイクオフ(離陸)したというこ
とは、大きな意味をもつはずです。


この事実に深く着目しつつ、一人のマスターに限定すること
にこだわらず、広く今の地球を守り導いているマスター達の
力を借りながら、人間側でできるかぎりのワークを試み続け
ているのが、シャンタンの特異性であり、お役目だろうと認
識しています。


ところで、インドにおいて「第三の眼」が重視されるのにたいし、
禅のマスター(老師)たちの日本において重視されきたのが「丹田
(ハラ)」でした。

しかし、これらはどちらが欠けても真理を悟ることはできず、
互いに協力して働くもののようです。

第六チャクラ(脳の中心に近い松果体に位置する)と通じる第三
の眼(眉間)が十分に機能すれば、ビジョンとか洞察とか気づき
が与えられます。

マインドが、思考-欲望(メンタルエレメンタル)の奴隷になっ
て引き回されてしまうという凡庸な在り方を超越するには、バッ
テリーに相当する丹田にチャージされたエネルギーが十分に供給
され、第三の眼が開く必要があります。

悟るということは、頭(マインドとの同一化)を落とすということ
でもあります。

私たちの帰る場所は丹田(を扉として宇宙の根っこ、いのちの故郷
に帰る)です。

このことを、シャンタンはゆるゆる瞑想の〈落としどころ〉とし
て、必ずワークの最後でカラダと意識に覚えこませるようガイド
してくれています。


彼は、今回、二つの独楽(こま)を見せてくれました。
秋葉原で百円で買ったというその独楽は、電池のスイッチを入
れると輝き、回すと、さまざまな模様に変わります。

まるでUFOです。

RIMG0553_convert_20121116185123.jpg



それを何回も回して飽かず眺めていると、そうか、これは私
たちがゆるゆる瞑想で座って上半身の根元である骨盤を石臼
と見立てて、ギリギリと上半身を回すときに丹田が軸になっ
ているのと、独楽がその芯棒を軸として回転しているのとと
ても似ているではないか!! 

そんな気づきがやって来ました。



ワークショップでやったことを思い出してください。

意識してゆっくりと自分のカラダを確かめながら回して行く。これがコツ。

決して、無意識に、機械的に、習慣的には、カラダを動かさないこと。

骨盤の中は倉庫みたいで、不要になった悲しみなどがたまっている。
女の人はとくに子宮にこれがある。

悲しみは深い層にたまっているが、この悲しみが日本人を悟りに導く。

シャンタンは、いいます。

「悲しみ、苦しみがあるから、悟りに向かうことができます」

「悲しみは、味わうことが大事。悲しみをなかったことにするのでは
なくて、それとしっかりと向き合って味わうことができたなら、その
悲しみは喜びに変わります」(これは富士聖地の祈りの丘で、
樹海の上にみごとに裾野を広げた富士山を目の前に教えてくれた、カル
キヴァガバンの言葉“悟った者は苦しむ。故に苦しみがない。悟ってい
ない者は苦しみを避ける。故に苦しみがある(だいたいの意味です)”と
いうのを彷彿とさせる言葉です)


不安とか恐れはだいたいハートに関係している。

それから、怒り。これは顎から首にたまる。

これらをまず丹田のほうから、まず深い悲しみを感じたそのことから、
すりつぶし砕く石臼を回すように、丹田、骨盤、腰を回して行きます。

骨盤を開いて行くと、大地、地球からのエネルギーを止めること
なく、上半身まで持ってゆくことができます。

ここをゆるめながら、回してあげることがコツです。

思い切り骨盤、腰をゆるめながら回してあげます。

そして、平面の回しだけでなく、慣れてきたら、縦、斜め、八の字
を描いたりして、自分の中で愉しみながら、体の感覚を確かめなが
ら回すことができます。

ゆるゆるは、オナラフリーです。周りの人は少し我慢してもらい、
オナラが出るようでしたら、出してください。

そして、骨盤をゆるめ、腰をゆるめ、背中をゆるめ、つぎは肩甲骨に
なります。もう一度、肩甲骨が羽のように体から剥がれると、体はと
ても楽になります。

ハートが開き、エネルギーが通って行きます。

肩甲骨が汚れていると、肩甲骨がくっつているからエネルギーがこ
こで止まります。

こうやって、カラダの中をお掃除し、浄化してゆきます。

何のためにそれをやるのかというと、丹田を開くための予備作業を
行うためではないかなと思います。

地球から湧き上がってくるエネルギーをまず両脚から丹田に揚げ、
そこからまた骨盤、腰、肩甲骨を通って、上まで揚げて、頭頂か
ら宇宙へと放つ。
それから再び宇宙から黄金の光が入るとイメージして頭から光を
入れ…とやってゆくうちに、天地と交流し、丹田がゆるみ、開く
ということでしょうか。


ところで、今回のゆるゆる瞑想会は、これまでにない画期的な
ものだったと、シャンタンから聞きました。
そこがシャンタンをして、「はやまでことばにならないほど、
ふかいたいけんがありました」と言わしめた所以(理由)では
ないかと思います。

13日と15日に会場がとれたので、どうせ僕の家に泊まっていた
だく以上は、真ん中の14日に行われる富士聖地での「宇宙究極
の光を降ろす行事」に案内しようと決心しました。

ピラミッド(富士聖地)とシャンタン 圧縮サイズ


以前から海外でピースポールに遭遇し、五井先生に守られてい
ると感じていたシャンタンにそのことを話し、自然の運びで富
士聖地に行くことになりました。

一方、今回初めてシャンタンとコラボレーションすることになっ
たチャネラーのシエルさんは、13日に初めて五井先生の写真を見
て、優しい、精妙なエネルギーを感得し、癒されるという経験を
しました。
そこから、富士聖地に同行することになり、当日は4人(partner
のvasantiを含む)で参加しました。



そして、富士聖地では、シャンタンもシエルさんも、それぞれ
素晴らしいものを受け取り、またエネルギー的にもチャージさ
れてくることができ、15日の葉山での瞑想会に臨むこととなっ
たのでした。


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こうしたいきさつから、ゆるゆる瞑想の会場に、OSHOの写真だ
けでなく五井先生の写真も持って行こうとシャンタンが提案し
たことから、祭壇に見立てた白布の掛かった台に二人のマスタ
ーの写真が並ぶことになり、さらにカルキヴァガバンの小さな
写真が置かれ、祭壇に一個だけ、食べるにしても、みんなと全
員ではシェアできそうにない紅いリンゴをお供えしました。



これは、本当に画期的なことでした。でも、それこそがあらゆ
る外来の文物を取り込んで調和させ、根づかせるという高度な
ワザを発揮した日本人ならではの「地球平和」のためのお役目
なのではないかと思ったのでした。



ある意味、エゴのレベルでの全体と切り離された個人の思考
とは別に、高次元では同じ目的のために覚者たちが協力して
ワークしていると思われるのは、チャネルの開かれた人には、
次元間をつなぐお役目として、これまでの地球界に出現した
あらゆる覚醒した存在や地球外知性からのメッセージないし
叡智が伝えられるミーディアム(媒体)としても使われる-おそ
らくチャネラーであるとないとを問わず-ということが起きる
のが通例だからです。


ある友人が尋ねている。

なぜ賢者たちは、集団となってともにワークしないのですか?

これはたいへんいい質問だ―真理を知り得た賢者は、なぜグループを
組んでともにワークしないのか? わたしは、賢者は常に共同でワーク
をしてきたと言いたい。

ともにワークしてきたのは、生きている賢者だけではない。
二十五世紀前に死んだ賢者さえも、生きている者を援助していると
付け加えたい。

だから、ともにワークしているのは同時代の賢者だけではない。

それどころか歴史的かつ伝統的にみて、彼らは常にともにワークしてきたのだ。

わたしの言葉が真実だとしたら、それはわたしが仏陀や、マハヴィーラや、
クリシュナや、キリストたちの支援を受けているからだ。

わたしの言葉が真実なら、彼らの言葉がわたし自身だけのものではなく、
過去にその言葉を使った人々全員の力強さでもあるのだ。
(『ディヤン・スートラ-瞑想の道-』p.96〜p.97より)




そして、今やOSHOも五井先生も、肉体を脱ぎ捨てて、高次の
より精妙な波動圏から私たちをサポートしてくれているわけです。

ですから、地球人類がアセンションするということは、こうし
た頭(マインド)の中で起きている何らかの信念やマスターとエ
ゴとの同一化からの自由性にもとづき、意識が拡大してゆく結
果として、必然的に宗教間対立(宗教観と同一化したマインドの
集合意識)が消えるということでもあるといえると思います。



こうした離れ業をやってのけるシャンタンは、僕には新鮮に映
ったわけですが、彼にとっては別に当たり前の自然なことだっ
たことでしょう。そこが満州で生まれた彼のスケールの大きさ
であり、これからの地球平和になくてはならないタイプの人類
の大事な要素といえましょう。

そして、大きく見れば、まったく同じ、地球平和の完成のため
に来ている、また細かく見れば、それぞれに異なる個性やお役
目をもったマスター達は、それぞれの持ち味、異なる光線を発
揮して、共同ワークを展開させることになります。

これだけでも、すごいことではないでしょうか。そして、こう
いう創造的ともいえる融合が起きるかどうかは、私たちの意識
がどれだけニュートラルで、すべてを包み込んで拡大できるか、
この肉体が上のほうから使いやすい器となれるかにかかってい
るといえます。

それが今回、起きたのです。そして、それが可能だったのは、
もちろん、シャンタンとシエルさんという二つの魂の出会い
があってのことでした。

シャンタンから伝えられた話によると、13日は、ひたすら浄化
のステージで、媒体のお役目であるシエルさんの体を通して五
井先生から高次元宇宙の光が送られ続けたということです。

この五井先生のお働きがなかったら、大変なことになっていた
はずと、シエルさんは話していました。五井先生はいわば川の
上流の清らかな、宇宙神とつながった光のエネルギーを流す役
目だったとのことです。



15日には、13日以上に全面的にOSHOからのメッセージがシエル
さんを通して降りました。

それは、つぎのようなものです。

まずは、「ハラの中にあるものを出しなさい」

この指示を受けたシャンタンのリードで、ジベリッシュ(意味
のない言葉を発声しながら、頭や手や体をシェイクさせる)に
始まり、動物のように四つん這いになってうなだれるように頭
をぶらぶらに下げ、そこにたまったエネルギーを解放してやり
ながら、おなかにたまったネガティブな感情を思いっきり放出
して空っぽになるくらいまでに叫び続けました。

これはダイナミック瞑想の第二ステージですが、ダイナミック
をやろうとして行ったのではなく、自然発生的に起こったとい
う点が重要だとシャンタンはいいます。

参加者の誰もがまったく予期もしないタイミングで、しかもチ
ャネリング能力をもつシエルさんを使ってOSHOによる指導が入
り、カオス(混沌)の中に参加者全員が投げ込まれたということです。

マインドは常に頭脳を優位に置き、カラダの声を無視し、感情
を抑圧します。そのマインドがコントロールを手放さざるをえ
ない状況が準備されたともいえます。

これこそが存在にゆだねるということです。

そこには、指導する人がいません。指導される人もいません。

あるのは、一人ひとりの参加者の内なる可能性、潜在性への
信頼だけです。


さらに、OSHOから来たメッセージは、「喜びなさい。自由になり
なさい」というものでした。

「真面目にやり過ぎることで悟りに最も遠くなってしまう」とい
うメッセージをシエルさんが伝えると、あたりに笑いのさざめき
が広がりました。
それは午後の陽射しが水面にキラキラと反射するような感じで、
浄化のプロセスで自らの内なるネガティビティと向きあうことで
ともすれば深刻になりがちなその場の張りつめた空気を和らげ、
楽にしてくれるものです。

そこで、シャンタンがみんなに呼びかけたのは、畳の大広間を歩
き回ってください、それから自在に駆け回ってくださいというも
のでした。

空気をかき混ぜ、空間のオーラを壊してゆくことで、ひろびろと
した大海原を泳ぐ魚のように、果てしなき大空を飛翔する鳥のよ
うに、私たちのカラダが自由になれるんだという感覚を呼び覚ま
されてゆきました。

めちゃくちゃに走り回り、人とぶつかりそうになりながら、カラ
ダは習慣的でメカニカルな動きから放り出され、危険はカラダの
細胞がより注意深く醒めてあることへと誘います。



参加者は子供のように生き生きとしてきて、頭から思考が去り、
ハートに降りてきて、顔の表情が笑いや喜びに満たされてゆきます。

そこで、「さあ、踊りましょう」というシャンタンの声とともに
音楽が流れ始めます。

丹田からハートへ。そして、ハートから手へ。木でいえば根っこ
のような足からカラダに入った大地のエネルギーが幹を昇ってゆ
き、枝葉から空へと抜けてゆく感じです。

さんざん踊ったあとで、そのまま畳の上に身を投げ出して、静止
したカラダに意識をおいて、台風の吹きまくったあとのまだ荒い
呼吸がしだいに静まってゆくのを見守り続けていました。

ダイナミック瞑想がそうであるように、たいていの動きのある瞑
想では、踊って、横たわって、それで終わりを迎えるのですが、
今回はそれで終りませんでした。



つぎの瞬間、シエルさんに降りてきたメッセージは、こういうも
のでした。

「今です。丹田に入れるときは。今はみんなのマインドが静かに
なり、止まっている。丹田に入る、今がそのときだ」

そして、「覚醒に導きなさい」というメッセージ。これはカルキ
ヴァガバンからのものであると、シャンタンが語っていたと記憶
しています。(夜が明けたら、このへんをもう一度、確認します)

カルキヴァガバンからのメッセージという記述は、OSHOからのメ
ッセージの誤りでした。シャンタン、コメント欄での訂正をあり
がとうございました。

と思いきや( ^ω^)・・・また、新たな情報が・・・(´・ω・`)

シエルさんのコメントによると、OSHOとはまた別に、ワークに入る前に
カルキヴァガバンからのメッセージが来ていたということでしょうか。
(下のコメント欄をご参照のこと)そして、「目覚めを呼び起こしなさい」
にたいして、終了後に「目覚めたね」とは、シュゴイでちゅねヽ〔゚Д゚〕


20121015繧・k繧・k迸第Φ繝サ闡牙アア+(7)_convert_20121116184429




それから、隣りの人と肩がくっつきあうほどの小さな輪をつくり、
手をつないで座りました。

吸う息と吐く息。そして、それらを往ったり来たりする間の、吸う
でも吐くでもないはざま(狭間)にしばし留まるようにと、シャンタ
ンが指示しました。

そして、眠りと覚醒のはざまが大事であるように、このはざまに悟
りがあるということが伝えられました。

せわしなく、激しく動いてから、横たわるだけで終わるなら、世間
に戻り、また日常生活に戻るなら、瞑想性を失うことなくキープす
るのは難しい。そうならないように、マインドやハートのエネルギー
も意識も丹田まで届かせ、そこにくつろぐ。

マインドが静まっているために、このインターバル(間隙)を意識
し、見守りやすくなっていることからも、先ほどの「今が丹田に
入るときだ」というメッセージが絶妙のタイミングであるという
ことがうかがえます。

シャンタンの話によれば、ゆるゆる瞑想をリードするようになっ
て以来、数ある経験の中でも、今回の経験は、「学び」をもたら
してくれたという意味でも画期的だったそうです。

森戸神社下の磯 圧縮サイズ


そして、繰り返しになりますが、そのようなギフトを受け取れた
のは、シャンタンとシエルさんとのコラボレーションが実現した
ことによります。


それは長年の瞑想体験で培われたシャンタンの覚醒の光と炎だけ
でもできないことですし、地球の次元上昇(アセンション)をサポ
ートしてくれる高次の存在からのメッセージを受け取れるだけの
空っぽの器となっているシエルさん一人だけでも実現しなかった
ことでしょう。


これを第三者の視点で観ていると、そこから未来の文明が立ち現
れてきます。誰もが必要とされ、それぞれのお役目と働きがある。
それを発揮してみんなで協力してゆく。

シャンタンがいうところのかつての一万年も平和が続いた縄文の
世を未来に現してゆくとはどういうことか。

たとえば、……これは私のイメージですが、弥生人は農耕生活に
ともない備蓄や計画、水利権をめぐっての争いが生じてきやすい
条件で暮らしているのにたいし、縄文人は狩猟採集生活で、自然
の恵みにたいする感謝と祈りは、より深くて、インスピレーショ
ンに助けられて生きている……。

自己の奥深くにある完全なる宇宙にくつろぐことで、過去に引き
戻される苦しみもなく、将来への期待も不安もなく、喜びをもっ
て人々が互いに今ここで出会い、同時に地球もその一つであるに
すぎない広大無辺の宇宙とつながることで、安らぎと平和に満た
されている……。

森山神社 圧縮サイズ


ワークを終えて、三日目を迎えますが、昨日、おとといと、電話
でシャンタンから声の出方がまったく以前とはまったく変わって
しまったと驚かれました。他の人に訊くと、やはりそう感じると
のことです。
自分でも、声が大きくなり、腹の底から太い声が出ていると、
はっきりと感じられます。

あのときに「丹田が開いた」というメッセージがシエルさんに降
りましたが、そのことを実感しています。

それから、輪になって座った参加者が円周から中心に向かって集
まり、葉山の地に光の柱を建てました。

ということは、この地に光のフィールドができてくることです。

そして、足の裏から光の根が生えているとイメージすることもや
りました。歩くとそこに光がもたらされ、地を浄めることになり
ます。

そして、どうやら準備がすでに整い、つぎのものがこの地にもた
らされそうです。
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粂 潤一(くめ じゅんいち)

Author:粂 潤一(くめ じゅんいち)
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