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「不易」の言霊VS「流行」の情報

 日本が第二次世界大戦で連合国側に大敗を喫したことは、情報戦において日本があまりに未熟だったからともいわれるが、日本が近代国家になる前は、新聞すらなかった。

 江戸時代の瓦版では、絵が主体で、妖怪や地震などのセンセーショナルな、あるいは興味本位な記事が巷の庶民にばらまかれていたのみだった。それは、諸国を行き交うことも少なければ、狭い地域社会や変わりばえのしない日常世界から外にでないで暮らす人々の閉塞的な日々に風穴をあける効用をもつ情報を提供していた程度だった。

 それは、何を意味するか。人々は、ムラ社会の中で安穏としていられた分、身の回りの現実を疑おうとすることもなければ、とりたてて真実は何なのかということを知ろうとする欲求も希薄だったということなのではないか。

 同じひとつの島国の上に住んでいて、どこまで行っても地続きの土地に住む人間もまた同じ単一民族、海をちょっと渡れば、そこにもまた同族であるという環境で、せいぜい窃盗を働く悪党がいるくらいで、さしたる悪意や陰謀を想定しなくても、暮してゆけたにちがいない。

 しかし、当時の進歩的知識人は、海外に渡航して欧米の事情を探り、そのたくらみを知ることになる。当然、危機感を誰よりも先に抱くことになるのだが、問題はそれに打ち勝つだけの精神的基盤があったかどうかだけであり、物質的技術的な面での脅威に屈して、どうにかして植民地化されぬようにと、あれこれと心配したり、小賢しい知恵をめぐらせたりすることになれば、ただいたずらに心を乱し、何も知らないでいるよりもかえって軽挙妄動に走ったり、列強側の走狗として利用されてしまうことにもなりかねないのだった。

 つまり、倒幕をし、明治政府をつくった人々に比べれば、開国の機運を前に、尊攘派でもなければ勤皇派でもなく、ただ、ひたすらに天意にかなった古の心に帰ることを提唱して、言霊の書を著し、講義をして世に伝えていた山口志道のような人こそは、時代に踊らされることなく、人間の生きるべき道と国家や民族のとるべき道というものを、正しく見据えていた人なのだといえる。

 山口志道がめざしたことは、いかにして天地自然と人間が完全に調和して生きていけるかという追求を古の言霊に依拠しつつ確立することだった。

 その背景には、日本が長いあいだの鎖国から開国へと急速に向かう動乱の時代への予感がある。国内的には経済危機や天変地異や飢饉や度重なる一揆や打ちこわしなどがあり、また対外的には迫りくる欧米列強の魔の手があった。

 変化の波にうまくのって生き延びようとする人々と逆にそれに抵抗しようとする人々。しかし、変化の波は、必ずしもそれに見舞われる国や民族を幸せにするものとはかぎらない。どこまで離れて見ることができるか、局所的には利があっても、遠く離れた視点で鳥瞰するなら、他国にとって有益であっても自国にとっては、著しく不利であるという場合もある。

 けれども、自他の境界さえも越えて、人間が従うべき天地の法則にのることこそが、どういう変化にたいしても、不易の安らぎと幸せをもたらすものだという点に着目したのが、山口志道だった。江戸期には、他にも東西古今の文化の交通の狭間にあって、自ら深くものを考えた哲人や思想家などがいた。それぞれに固有の時を確保することで、思惟を熟成させていったと思われる。

 時代が不安定で、変化が激しければ激しいほど、ちょうど流れの早い川の底で、藻がしっかりと根をはり、その流れに耐えるように、人間もその拠って立つ精神的基盤に深く根ざそうとするものである。
 
 一人の言霊学者が、どうして言霊に傾倒し、そこに秘められた力を信頼するようになったのか、そして、未来の日本というものをどのように思い描き、希望を託していたのか、そのことは今日からすると、非常に興味深い。
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テーマ : 雑記
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